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気分の浮き沈みは体内時計が制御~マウス不安様行動が一日の中で変化するメカニズム~

Sci. Rep., 6, 33500 (2016)

発表概要:

今回、東京大学大学院理学系研究科の中野純(大学院博士課程)、清水貴美子助教、深田吉孝教授らのグループは、マウスの不安様行動(注2)が一日の時刻によって変化すること、さらに、扁桃体と呼ばれる脳部位においてSCOPという分子が不安の日内変化を制御することを解明しました。
地球上のほぼすべての生物が概日時計(注1)と呼ばれる体内時計機能を持ち、さまざまな生理機能が地球環境の24時間サイクルに同調しています。体内時計が外界の明暗環境に同調できなくなると、非常に幅広い生理機能に異常が生じます。近年になって体内時計の異常が情動(気分や感情の状態)に強く影響することが明らかになってきました。しかしながら体内時計が情動を制御するメカニズムは謎に包まれていました。今回の発見は、不安が日内変動することが動物の生存にとって重要な機能を持つ可能性を示唆しており、自然環境とは大きく異なる光環境で生活する現代人の情動やその異常について、新たな視点からの理解を深める可能性を秘めています。

発表内容:

地球上のほぼすべての生物が概日時計と呼ばれる体内時計機能を持ち、様々な生理機能を環境の明暗周期に同調させています。さらに体内時計は外界の環境変化がない状態(例えば一日中の暗闇)においてもおよそ24時間のリズムを刻み続け、安定した生理機能リズム(「概日リズム」)を生み出します。睡眠と覚醒のリズムやホルモン分泌リズムなどはよく知られた概日リズムです。近年になって、体内時計が哺乳類の情動に大きな影響を持つことが示唆されています。例えば時差ボケやシフトワーク、不規則な生活リズムなどにより気分障害へのリスクが増大するのは、人の体内時計が環境の明暗周期とずれてしまうためだと考えられています。また季節性情動障害(「冬季うつ病」)や大うつ病、双極性障害などの患者さんの多くには体内時計機能の異常がみられることが分かっています。しかしながら体内時計が情動を制御するメカニズムはこれまでほとんど理解されていませんでした。

本研究グループは、マウスの不安様行動試験により、マウスの不安行動が一日の中でダイナミックに変動し、この変動が扁桃体に存在するSCOP(注3)という分子により作り出されることを世界に先駆けて明らかにしました。まず、野生型マウスの不安レベルが一日の中で大きく変動することを見出しました(図1)。この変動は、昼夜を模した明暗サイクル下でも、光の影響を排除した恒薄明(恒常的に薄暗い)環境下でも見られることから、体内時計によって制御されていることが分かります。さらに、体内時計の中心因子であるBMAL1分子(注4)を背側終脳(注5)という(扁桃体(注6)を含む)脳領域においてのみ欠損させると、不安の日内変動が消失し、一日中一定の不安レベルを示すようになることを見出しました。したがって、背側終脳に存在する体内時計がマウスの不安レベルを1日の中で変動させていることが明らかになりました。

さらに、SCOP分子が不安レベルの日内変動に重要な役割を持つことをつき止めました。背側終脳においてSCOPを欠損したマウスは不安のリズムを示さず、一日中低い不安レベルを示しました。背側終脳の中でも特に扁桃体基底外側核 (BLA) という神経核においてSCOP量は日内変動を示し、BLAにおいてのみSCOPを欠損させると、マウス不安行動の日内変動が消失し、一日中低いレベルで一定の不安レベルを示しました。以上のことから、SCOPはBLAにおいて不安を増強する機能を持ち、SCOP量がリズミックに変動することによって不安の日内変動が作られることが明らかになりました。

今回の発見から研究グループは、体内時計は不安の変動を積極的に作り出すよう働いているのではないかと考え、生体防衛機能の基礎となる不安レベルが一日を通してダイナミックに変動することが生存にとって重要なのではないかと推測しています。一日の危険な時刻には捕食者からの攻撃に備えて不安レベルを高めておくことは有利に働くだろうし、一方で、安全な巣穴などに戻れば不安を解消してストレスを軽減することも必要でしょう。食餌を探索するには多少の危険を冒しても防御を最大に発揮して餌場に出向くことは必須だったと思われます。一日の中のこのような不安や防御レベルのリズムは、生物が過酷な環境を生き抜いて種を存続させるためには、かなり有利に働いたのではないかと思われます。その結果として、 現在も多くの動物にこのような不安状態のレベルが維持されているのではないかと想像されます。

哺乳類の情動制御を司る分子機構はいまだ謎に包まれています。中でもパニック障害や社交不安障害をはじめ不安障害の理解は進んでいません。今回の発見は、体内時計による制御という側面を切り口にし、不安制御の新たなメカニズムを明らかにした点で、不安という情動の科学的理解へ大きな貢献を果たすことが期待されます。さらに、今回の発見は不安状態の日内変動が生理的に意義のある、つまり生存に有利な不安リズムであることを示唆しており、自然環境とは大きく異なる光環境で生活する現代人の情動およびその異常について、新たな視点からの理解を深めるための端緒を開く可能性を秘めています。


図1. マウス不安レベルの日内変動(高架十字迷路)

横軸は1日の中の時刻で、左から右へ日中、夜間、日中、夜間と2日分を表示しています。縦軸は、迷路内の危険な場所へ侵入した頻度で、値が低いほど不安が高いことを意味します。図1のデータから、活動期である夜の前半に最も高い不安レベルをマウスが示すことが分かりました。

用語解説:

(注1) 概日時計(約24時間周期の体内時計)
生物が示すおよそ24時間周期のリズム現象(たとえば、睡眠と覚醒といった生活リズムやホルモン分泌リズム)を概日リズム(サーカディアンリズム)と呼びます。概日リズムは、生物に内在する自律振動体である体内時計システムにより制御されます。私たちがアメリカに旅行した際に時差ボケに陥るのは、体内時計の時刻と現地の時刻との間にズレが生じるためです。体内時計の分子メカニズムは、一日周期で時計遺伝子の発現がONとOFFを繰り返し、その発現量が増加と減少を繰り返すことにあると考えられています。
(注2) 不安様行動
ヒトの不安に相当するとされる、ヒト以外の動物の定量可能な行動を不安様行動と呼びます。ヒトで効果を示す抗不安薬によって抑制されす。さまざまな測定系が存在し、最も頻繁に使われる高架十時迷路試験などにおいては、潜在的危険に対する忌避行動と新規環境に対する探索行動との葛藤を測定します。
(注3) SCOP: Suprachiasmatic Nucleus Circadian Oscillatory Protein(別名:PHLPP1β)
SCOP は主に脳神経細胞に発現する分子で、視交叉上核における発現量が日内リズムを示す分子として単離されたタンパク質です (Shimizu et al. FEBS Lett. 1999年)。マウス海馬においては長期記憶の形成効率に重要な機能を持ち(Shimizu et al. Cell 2007; Shimizu et al. Nat Commun 2016)、またERK/MAPK経路やAKT/GSK3β経路などの細胞内シグナリング経路を制御しうることが報告されています。
(注4) BMAL1: Brain and muscle Arnt-like 1
哺乳類の体内時計の中心的な分子の一つです。BMAL1タンパク質が正常に機能できなくなると、体内時計が時を刻むことができなくなります。
(注5) 背側終脳(はいそくしゅうのう)
大脳の一部。興奮性の神経細胞からなる脳領域であり、大脳皮質、扁桃体、海馬、嗅球などを含みます。別名を脳外套ともいいます。
(注6) 扁桃体(へんとうたい)
背側終脳の一部を構成する小さな神経核(神経細胞の集まり)で、ヒトにおいてはアーモンドのような形をしているため扁桃(アーモンド)体と呼ばれています。古くは恐怖中枢とも呼ばれ、「負の感情」を司ると考えられていましたが、最近の研究で意欲や快楽など「正の感情」の制御にも重要であることが分かってきました。