深田先生からのメッセージ

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2012年秋 スイスにて


ある卒業式にて〜今日の意外な感動〜

 今日、ある卒業式に出席し、秋山仁さんの素敵な講演を聴く事ができました。 この講演に送られて卒業する学生たちは何と幸せなんだろうと思ったので、つい、この記事を書き始めました。 いま私はこんな文章を書いているヒマはないはずで、多くの宿題を抱えているのですが、 それを置いても一言を書きたくなる、そんな素敵な講演でした。

 秋山さんは、いつも卒業式では一つの詩を送る事にしているんです、と言って、次のような詩を、一言ひとこと、武道館を満員に埋めた学生と父兄に聞かせました。

ある舟は東に進み また他の舟は同じ風で西へ進む
行くべき径を決めるのは 疾風ではなく 帆のかけ方だ
海の風は 運命の風のよう 
生涯という海路を辿るとき 
ゴールを決めるのは 凪か嵐ではなく 魂の構えである

 これはアメリカの女性詩人、ウィルコックスの「運命の嵐」という作品の引用です。 秋山さんは、この詩にのせて、自分の人生を語り始め、聴衆の心を奪いました。 この詩には、いろいろな解釈があると思います。人生を一歩ずつ進むとき、自分にとって「待ってました」という追い風が吹くときもあるけれど、 どうしてこんなにも意地悪なことが起こるのだろう、という「逆風」が立て続けに吹くこともあるでしょう。 その時、吹いてくる風に自分の人生を自在に操られてしまうのではなく、その環境のなかで、がんばって自分の帆を張って東でも西でも、 自分の目指す向きに自分を進めようとする努力、その大切さを秋山さんは強調したように感じました。

 私はこの詩を知りませんでしたが、この詩を秋山さんから教えてもらった事は強く印象に残ります。 彼は67歳で「まだ青春」なんだそうです。 講演を聴いて、私にも、また眼下に居並ぶ何千人の卒業生にも、大きな力を与えてくれました。 この卒業式のあと、(一昨日のぎっくり腰を抱えて)大急ぎで駆けつけた共同研究の打ち合せを終え、 帰りみちM君にこの講演のことを話したら、かつて彼も秋山さんの講演に感動したそうです。 M君は、4月から新しい人生への門出です。 と同時に今、とても刺激的なデータを集めて論文を準備中で、大きな帆をあげてくれるよう、私からもエールを送ります。

 逆境を乗り越えた人、あるいは、乗り越えようとしている人の姿勢は、周りの人を強く惹き付ける、何か、があると感じました。


研究の「窓」 〜雑感〜 2011年5月12日(海外出張の帰路機内にて)

 私の大好きな文章があります。学生の人たちにはときどき話すのですが、この場を借りて紹介したいと思います。

 視覚初期過程の生理生化学的研究のパイオニアとして、ジョージ・ウォルド (George Wald) 博士を挙げない人はいないでしょう。 ハーバード大学 Biological Laboratoriesの教授として数多くの重要な業績を残し、1967年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。 私の恩師、吉澤 透 先生(京都大学 名誉教授)はウォルド先生の研究室に留学され、バソロドプシンの発見などを通して提出された 「光受容分子におけるビタミンAのシス-トランス光異性化説」は、ウォルド先生のノーベル賞受賞の基礎の一つにもなりました。 ここで紹介したいのは、ウォルド先生がScientific American誌に ”Life and Light” と題する レビューを執筆された機会に、 編集担当者のインタビューに応える形で紹介された著者紹介の記事です。 私は学生時代に、このウォルド先生のコメント(以下の英文の後半、斜体部分)を吉澤先生から口頭で教えていただきましたが、 今も色褪せずに、私を励ましてくれます。

Scientific American,Octorber, 1959, volume 201, number 4
The authors (p.40):
GEORGE WALD ("Life and Light"), professor of biology at Harvard University, is one of the wolrd's leading authorities on the chemistry of vision. A native of New York City, he was graduated from New York University in 1927, had his graduate training with Selig Hecht at Columbia University, and then went to Germany on a National Research Council Fellowship. Working in Otto Warburg’s laboratory in Berlin (1932-33) he discovered vitamin A in the retina, and in the same year established its role in visual processes in the laboratories of Paul Karrer in Zurich and Otto Meyerhof in Heidelberg. In 1934 Wald went to Harvard, where he has remained and has elucidated the complex chemical reactions through which vision is excited by light.

“Years ago I used to worry about the degree to which I had specialized. Vision is limited enough, yet I was not really working on vision, for I hardly made contact with visual sensations, except as signals, nor with the nervous pathways, nor the structures of the eye, except the retina. Actually my studies involved only the rods and cones of the retina, and in them only the visual pigments. A sadly limited, peripheral business, fit for escapists. But it is as though this were a very narrow window through which at a distance one can see only a crack of light. As one comes closer the view grows wider and wider, until finally through this same narrow window one is looking at universe. It is like the pupil of the eye, an opening only two to three millimeters across in daylight, but yielding a wide angle of view, and maneuverable enough to be turned in all directions. I think this is the way it always goes in science, because science is all one. It hardly matters where one enters, provided one can come closer, and then one does not see less and less, but more and more, because one is not dealing with an opaque object but with a window.”
(以下略)

 余計な解説は書かない方が良いかもしれませんが、皆さんはどのように感じましたか?視覚の研究者らしくウォルド先生は、一般的な研究の対象分野を窓(瞳孔)に例え、 研究の成果から見えてくる普遍的な真理といったものを、窓を通してみる景色になぞらえていますね。 普遍的な原理/法則を明らかにしたいというのは、多くの研究者が希むところですが、だからといって、その窓(研究対象)をより広くすることに腐心しなくても良い。 どんなに小さな窓(狭い対象、あるいはとても特殊だと思える研究)であっても、大切なことは、その窓に一歩でも近づく事であって、 窓のまぎわに立つことができれば窓の枠は視界から消え、広い外の景色すべて(普遍的な真理)が見えてくるだろう、という事でしょうか。 数ミリの瞳孔を通して私たちはものを見ていますが、瞳孔の小ささを気にしたことはありませんね。

 この文章は、ウォルド先生がノーベル賞をとる8年も前のコメントだという事も私の心を惹きます。いわゆる「勝者の自慢話し」ではないからです。50歳半ばで研究と格闘している頃、ご自分の研究対象の特殊さや周りの華やか研究に気を揉みながら、それでもご自分を励ましているように思うのですが、いかがでしょう?当時、視覚の研究では電気生理学的な手法を用いた生理学分野の成果が華々しく、生化学的な解析はあまり多くありませんでした。今でこそロドプシンは、GPCRの代表として生化学や分子生物学で注目を浴びる対象になりましたけれど。

 私はいま、このコメントを残した頃のウォルド先生とほぼ同じ年齢になりました。あれこれと悩みながら研究を進めてゆこうとする時、私はウォルド先生のコメントから大きな勇気をもらっています。

―――
 なお、この小文を書くことを思いついたのは、一人の若い研究者との交流によります。その方は駒場の学生時代に突然、私の教授室を訪ねて来ました。進路指導、とはとても言えないような雑談をしてお別れしたのですが、その時にこのウォルド先生のエピソードを紹介したようです。お話ししたことを私はすっかり忘れていましたが、その方は10年近く経たった今も良く覚えておられて、先日、この出典をぜひ知りたいと連絡をもらいました。私が調べてもなかなか分からないので、京都の吉澤先生にお尋ねしてようやく上記の出典に辿りつくことができました。その方の提案で、ある大きな研究機関の広報として、この「窓」がイメージとして紹介されているそうです。(深田)

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